「沖縄そば」の起源は諸説あり、中華麺として400年前、あるいは650年前から伝承されていると伝えられている。
当時沖縄では採れない小麦粉を用いた料理は、中国からの使者をもてなす料理、あるいは王族など一部の特権階級に限られた宮廷料理としての食べ物であったようです。
庶民の食べ物として、「沖縄そば」が広く知られるようになったのは明治後期のことで、県民食として大々的に普及して現在のような形態となったのは戦後、また県外にもその存在が知られるようになったのは、沖縄復帰以降のことであるようです。
「沖縄そば」の麺は一般的な中華麺と同様に小麦粉と塩水、そしてかん水が用いられているが、沖縄ではかつてかん水の代用として、ガジュマルなどの亜熱帯の樹木灰を水に入れた上澄み(灰汁ハイジル)が利用されることが多かった。この様な伝統的な製法の麺は、今日では特に木灰(モクハイ)そばと呼ばれている。
一般庶民が気軽に「沖縄そば」を食べれるようになったのは、大正に入ってからのことであるが、当初はトンコツ・かつおをベースに少量の塩と大量の醤油で味付けをしていたので、だいぶ黒みがかったダシだったようです。その後、改良が重ねられた結果、現在の塩中心の味付けになり、色も薄めの色となっていきました。 また、具材・ダシに各店工夫をこらし、競い合って現在の県民食として発展していきました。
「沖縄そば」という名称について、1972年の本土復帰以前は 、沖縄でそばといえば、すなわち「沖縄そば」のことであったので、特に意識することなく単に「そば」と呼ばれることがほとんどであった。その後日本そばとの混乱を避けるために「沖縄そば」という呼称が用いられるようになったが、「そばの名称は、蕎麦粉が30%以上混入されていること」を根拠に、「沖縄そば」この名称に対してクレームがついた。しかし、戦前から一貫して「そば」と呼ばれてきた伝統、慣習を守れとの機運が強く、沖縄生麺協同組合等の交渉により、1977年通称としての「沖縄そば」が県内のみ使用と限定され許可された。
その後、1978年10月17日沖縄県内で生産され、仕上げに油処理を行うこと等、いくつかの条件の下に特殊名称として「本場 沖縄そば」の使用が許可された。
これを記念して10月17日は「沖縄そばの日」とされている。